二回目の「日本のいちばん長い日」を読んでいます。 一昨日、6日は広島・・・、明日、9日には長崎・・・で原爆投下・・・、 何とか避けることは出来なかったものか・・・、とても残念でなりません。 以下は本書からの抜粋を元に記載・・・。 昭和20年(1945年)7月27日の朝、海外の電波から「ポツダム宣言」が伝わる・・・。 これを東郷外相、午前11時参内、天皇にふるえ声で報告・・・以下、天皇の言葉・・・ 『ともかく、これで戦争をやめる見通しがついたわけだね。それだけでもよしとしなければならないと思う。いろいろ議論の余地もあろうが、原則として受諾するほかはあるまいのではないか。受諾しないとすれば戦争を継続することになる。これ以上、国民を苦しめるわけにはいかない。』 政府は終戦への外交工作と軍の旺盛な抗戦意識に挟まれ無為な時間・・・、 翌日の28日午後4時、鈴木首相はポツダム宣言についての見解を記者団に尋ねられ、 「あの共同声明はカイロ会談の焼き直しであると考えている。政府としてはなんら重大な価値があるとは思えない。ただ黙殺するだけである。われわれは戦争完遂に邁進するのみである。」 これが対外放送網で全世界に放送・・・"日本はポツダム宣言をreject(拒否)した"と報ぜられた。 8月6日、広島に原爆投下・・・、翌7日にトルーマン大統領声明、 「・・・中略・・・、六日、広島に投下した爆弾は戦争に革命的な変化を与える原子爆弾であり、日本が降伏に応じないかぎり、さらにほかの都市にも投下する」 8日、午後、東郷外相が参内して原子爆弾について報告・・・以下、天皇の言葉・・・ 『このような武器がつかわれるようになっては、もうこれ以上、戦争をつづけることは出来ない。不可能である。有利な条件をえようとして大切な時期を失してはならぬ。なるべくすみやかに戦争を終結するよう努力せよ。このことを木戸内大臣、鈴木首相にも伝えよ・・・』 9日、宮中で終戦への最高戦争指導会議が混乱する中、長崎で原爆投下の報告・・・、 しかしえんえん七時間の議論が行われても終戦の結論が出ず・・・、一旦、閣議は中断・・・、 9日午後11時50分、閣議を御前会議に切り替えて再開・・・ポツダム宣言受諾の条件を議論。 外相を中心とする「天皇の国法上の地位を変更しない」ことだけにする一カ条案と 陸相の三条件を加える四カ条案が三対三で対立・・・10日、午前二時を過ぎても結論が出ず・・・。 鈴木首相が立ち上がり・・・、「議をつくすことに時間に及びましたが・・・中略・・・真に異例で畏れ多いことでございまするが、ご聖断を拝しまして聖慮をもって本会議の結論と致したいと存じます」 昭和天皇の言葉・・・ 『それならば自分の意見を言おう。自分の意見は外務大臣の意見に同意である・・・中略・・・いまとなっては、一人でも多くの日本人に生き残っていて貰って、その人達が将来再び起ち上って貰うほか道はない。・・・中略・・・明治天皇の三国干渉の際のお心持をしのび奉り、私は涙をのんで外相案に賛成する』 もし・・・鈴木貫太郎首相の気転・・・、昭和天皇の言葉がなければ今の私はいるか・・・? それにしても・・・せめて長崎の原爆だけでも避けられなかったのか・・・本当に残念でなりません。 |
2015年8月8日土曜日
原爆・・・せめて長崎だけでも避けられなかったか・・・
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