今日で阪神大震災から28年・・・、
今も当時のことはとても鮮明に憶えています。
想い出すのも嫌で余りブログに記載してきませんでした。
忘れない内に『私の1.17』として幾つかに分け記載します。
1995年1月17日5時46分・・・
そろそろ2階で起きる時間でした・・・。
地震・・・当時続発の猪名川群発地震とは違う・・・、
飛び起きて隣に寝ていた娘の上に覆い被さりました。
娘は『重いッ!』の大声・・・息子の部屋の無事を確認、
1階に駆け降りると家内は台所で足は傾きそうな食器棚、
手はガスコンロを止める異様な光景が今も目に浮かびます。
ニュースでも詳細は不明・・・まともでは無い事を感じ、
取敢えず淀川区加島の勤務先に向うべく家を飛び出ました。
駅へ向かい駆け降りていると逆に戻る人が、『電車は運休・・・』、
やはり尋常では無い様子・・・慌てて家に戻り、車で会社に向いました。
川西能勢口周辺迄は全く異常を感じずでした、
何時もの大阪市内へのコース・・・猪名川西岸を走行・・・、
伊丹に近づくと異様・・・京都・西宮171号線猪名川軍行橋・・・、
地震で大規模多重交通事故・・・ブレーキの足が竦みました。
南下・・・神崎川西岸は家々が傾き異様なのに東岸は普通・・・、
加島の事務所到着・・・引き吊った見知りの保安員誘導で停車・・・、
エレベーター停止、コンピューターフロアに駆け上がりました。
全コンピューターが地震の揺れで南東の隅にぶつかり傾き移動、
一目で稼働不能は明白・・・何をどうすべきか、途方に暮れました。
そんな所に道修町の本社の秘書から『社長がお話しを・・・』との電話・・・、
『コンピューターも駄目か・・・配送センターも被害の様子、応援を・・・』との事でした。
一人だった事務所に少しずつ部員・・・そこから地獄の日々のスタートでした。
得意先の注文データのバック・アップ・データは防火金庫に無事を確認・・・、
後はコンピューターをIBMが稼働出来るようにしてくれるのを待つしかない・・・。
製薬メーカーとして医薬品を届けるのが一番の責務・・・、
会社の最大の神戸の配送センターの自動倉庫が地震で停止状態・・・、
上司と電話で相談・・・・当面部員は自宅待機にすることとし、
私は若手と西神戸の配送センターの応援に駆け付けることとしました。
大阪・神戸間の大動脈の171、2、43号線は地震で寸断、大渋滞・・・通行不能、
凍結が心配で・・・若手と猪名川、三田、有馬経由で西神配送センターへ向かいました。
徹夜で配送センターの倒れているコンピューターを戻し無事稼働を確認・・・、
しかし自動倉庫は庫内機器破損で稼働不能・・・メーカーの修理を待つしか無し・・・、
それ迄は、高層の倉庫内に入って人力で商品の引き出し・・・私達の出番はありません。
出来る事は無し・・・お隣の卸さんの配送センターに救援物資のお裾分け・・・、
数日の徹夜の応援で自分の職場に戻りました・・・が徹夜の為か血圧が200超え・・・、
医師の指示で市立川西病院に2日間ほど入院することとなりました。
・・・ 写真はニュース写真などを拝借しました ・・・
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