8日、日曜日の朝日新聞の『日曜に想う』のコラムに考えさせられました。
以下、コラムの内容の転載です。
以下、コラムの内容の転載です。
生き方と逝き方 桜散る季節に
暖地の桜はあらかた散ったが、岩手県盛岡市辺りはまだつぼみが春を抱いている。
市内の大慈寺に、この地の出身で平民宰相と呼ばれた原敬の墓がある。
原は1921(大正10)年に東京駅で凶刃に倒れた。なきがらが戻って埋葬されるとき、妻の浅は、穴の深さをしきりにたずねたそうだ。「深さをよく覚えておいてくださいね」と周りの人たちに頼んだ。わけを聞かれるとこう言った。
1年4カ月のち、後を追うように他界した浅は、望み通りに同じ深さに埋葬されたという。それからほぼ1世紀、ふたりの墓石は同じ形で左右に並び、仲良く語らっているかに見える。
「永眠の地」「終(つい)のすみか」の一つの理想を見る思いだが、ここにきて、墓をめぐる世相は急変しつつある。
少子化につれて人口が減り始め、家族のかたちや人の生き方が多様化する時代である。守る人の絶えた無縁墓が各地で目立ち、夫と同じ墓に入りたくないという妻も珍しくない時世になってきた。
原敬と浅のエピソードは、どこか遠いお伽噺(とぎばなし)のように聞こえてくる。
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亡くなった者をあの世で結びあわせる冥婚(めいこん)という言葉は古くからあって、旧習ながらどこか詩的に響いてくる。
片や死後離婚は新しい言葉で、散文的だ。亡くなった配偶者の親族との法的関係を断つことをいう造語だが、もともとは配偶者と同じ墓を拒む場合をそう称してきたようだ。本紙記事には1994年に後者の意味で初めて登場する。
それからほぼ四半世紀、いずれの場合も、死後離婚に至るすきま風はもっぱら妻の側から吹いてくるようだ。家族という役割のなかで、これまで女性が負わされてきた忍耐ゆえと想像はつく。
昨年秋の本紙Reライフプロジェクトのアンケートによれば、配偶者と同じ墓に入ることについて、「悩む」「できれば避けたい」「絶対に嫌だ」と答えた女性は4人に1人を数えた。男性は7%程度と低かった。婚家の代々の墓への抵抗感がある人もいることだろう。
これこそお伽噺かもしれないが、評論家の花田清輝が次の話を書いていた。
パリのペール・ラシェーズ墓地に二つの墓が並んでいて、先にできた墓にはこう書いてあるそうだ。「ジャック・ジュラン――お前を待ってるよ!」。あとの墓には「ジャクリーヌ・ジュラン――はい、まいりましたよ!」。
思わず頬がゆるむ。とはいえ昨今、それが理想とばかり思っていては素朴に過ぎよう。百人いれば生き方と逝き方に百の考えがある。近年広まった「終活」という言葉には、かたちはともあれ、ひとが一個の人間に戻って退場しようとする静かな意思があるように思われる。
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〈死支度(しにじたく)致(いた)せ致せと桜かな〉一茶
不吉な句ではあるまい。桜の恬淡(てんたん)とした美しさが一茶にそう言わせる。生きているうちの旅支度を「縁起でもない」と嫌う時代では、もうないだろう。
単身で暮らす世帯が4分の1を超えたいま、弔いも墓も「家」から「個」へとかたちを変えるのは自然な流れだ。女性専用をうたう墓所も近年目につく。
自分らしく。あの人らしく。
昨今はそれがエンディングのキーワードだと聞いたことがある。残った者の思い出の温め方も人それぞれでいい。
美しい桜に仮託する散りざまとは異なり、人の死にはリアリズムの縮図のような事柄が入り乱れる。加えてこれからは少子に多死が重なる未体験のゾーンに我々は踏み込んでいくことになる。
難しい時代だけれど、賢く処したいものだ。人生の機微に通じたシェークスピアの劇にこんなせりふがあった。
〈終わりよければすべてよし、終わりこそつねに王冠です〉(小田島雄志訳)
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